ヒターノたちのフラメンコ

Sevilleセビリアはスペイン南部のアンダルシア県にある比較的大きな都市なわけですが、アンダルシアといえばフラメンコの本場です。フラメンコといえば今でこそ華麗な衣装と情熱のダンスとして世界中で有名ですが、実際に本場でフラメンコを見ると、その歴史のことを考えずにはいられず、フラメンコというものを、今までの認識とは違うように考えるようになります。それにしても、友達のClの家についてお土産をあげたりしていたときに、「私もあなたにふたつプレゼントがあるの、ひとつはそんなにエキサイティングではないもの、もうひとつは多分ちょっとだけエキサイティングなもの」と言って、まず、私の仕事にも関係する彼女の論文をひとつ(掲載おめでとう!)、そしてフラメンコのチケットを2枚、彼女と一緒に観に行くようにくれたのでした。こういう感激的なプレゼントの仕方にとても感銘を受けたので、私もこれからこういう喜びを友達や家族に与えられるようにしたいと心から思いました。ひとつ学んだ気分。
そしてこの写真が、Clと一緒に行ったそのフラメンコのショウ。あまり写りが良くなくて申し訳ないのですが、セビリアのカルチャーセンターのようなところで中庭(クロイスター、回廊)の上部に布を張り、ステージをつくってショウができるようにしてあります。中心の踊り子の女性は多分40代後半で、Clいわく、上質のフラメンコを観に行くと、必ず彼女くらいの年齢か、さらに年上の鍛え上げた体の女性が踊ることが多いそうです。つまり、踊り子たちは小さいときから踊りを学ぶものの、その踊りが本物になるにはかなりの年月がかかるということ。そして彼女たちは、スペインジプシー、つまりヒターノたちです。フラメンコはその血に入っているのです。
イベリア半島(スペインとポルトガル)はその昔、もちろんローマ帝国の支配下にあって貿易の中心となったこともあってたくさんの人種が入り交じる場所となり、さらにそのあとイスラム帝国支配となったこともあってイスラム系の人種も大群で中東やアフリカから移住してきたわけですが、そのあと歴史が知る通り、キリスト教諸国の征服によって今のスペインの基礎が造られたわけですね。ヒターノたちはこの頃のイスラム系の子孫がキリスト教からの追放令に追われてジプシーとなって住むところを転々とした人々なわけです(ほとんどのヒターノの先祖はキリスト教に改宗しています、多分無理矢理。)。今もヒターノたちはヒターノとしてのコミュニティに住んではいるものの、イタリアや他のヨーロッパの都市にいるジプシーとは違って、一般の人と同じように普通のアパートに住んで、貧乏な人もいればお金持ちの人もいて、というような生活を送っています。そんな人々が踊るのがフラメンコ。厳しい環境の中、貧乏になって差別的な扱いを受けないためや、生活のため、プライドを少し曲げて観光客の前でプロフェッショナルすぎる踊りを踊るこのスペインジプシーたちは、そのあたりの普通のセビリア人も全くかなわないほど強い情熱と精神力を持っているといいます。そんなことを考えながら彼女たちの強いパッションと、思い詰めたような表情に代表される悲劇的な思いの詰まった激しい踊りを見ていると、こちらも思わず息を詰めて見守ってしまいます。激しい動作のあとの「オレーイ」の官能的なかけ声にドキっとしながら、こんな踊り、生温い平和な環境で育った私のような人間に踊れるとは到底思えない、と思ってしまうのです。

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