We’re no angels

were_no_angels.jpgWe’re no angels (1989), (B+)
こんな名作におこがましくもB評価すみません。DVD借りて観ました。ショーンペンのやんちゃぶりが青くて懐かしい感じがしました。ロバートデニーロはすごくいいのにやっぱりショーンペンが全体的にかなり微妙に見えてしまうのは、頑張りすぎてるように感じるからかもしれません。日本人って、頑張りすぎる人はあんまり評価しないところがあるような気がするので、私もそんな感じなのかもしれません。すっごい上から目線ですが。まあ素人の映画の感想なんてこんなものでしょう。そうだ、これって逃げ出す理由になる張本人の罪人がめちゃくちゃ怖くてなんだかカッコいいです。
それにしても宗教のことを考えるといつも北野武原作の「教祖誕生」のことを考えてしまうんですが、ちょっと似てるところはあります。この映画もコメディ的な要素がたくさんあるわけではないけれど、要所要所で、ここで笑わせるの?と思うようなコメディシーンがあります。最後のショーンペンの「ブラウン牧師」の説教のところは私にとっては、感動ポイントでもあり爆笑ポイントでもあった(こっちのほうが大きい)気がしました。「そんなときポケットの中には何がある?」えーっと…銃?(大笑い)という感じ。
それでもすべての「奇跡」が実は奇跡ではなくて人工の偶然のようなもので、「ブラウン牧師」が言うように「すべてのことは頭の中で起こっている」というところで深く納得させられます。私は人生の中でまだ幸運なことに「絶望」を感じたことはなく、この年になっても近い人の死に直接面したことも非常に少なく、家族が不治の病だとか何かが不自由であるとかそういったことがないので、えらそうに「つらいこと」について話す権利はあんまりないんですけれど、それでもやっぱり日々楽しいことや嬉しいことがあるかわりに物事の大小はあれ、それなりに「つらいこと」というのもあるわけで、それが雪だるま式にどんどんふくらむこともあればさーっと解けてしまうこともあるわけです。そしてそのほとんどは人々の頭の中だけで起こっているということに納得してしまいます。誰か家族や友人が「大丈夫だよ」と言って肩をたたいてくれるだけで解けることもあるし、一人で引きこもってしまって手に負えない大きさの雪だるまになってしまうこともあるでしょう。
前にみてもらったことのあるアメリカのお医者さんが、「私東洋医学にもとても興味があるの」といって、以前に読んだという「身体の不具合は精神で治せ、精神の不具合は身体で治せ」という教えは正しいと思うと言っていたんですが、時々これは本質的なことだなと思うことがあります。精神的に不安定なときは何も考えずに運動したり走ったりして汗を流すと、何故かすーっと不安がなくなってしまうことがあるからです。どこかがすごく痛いとか、そういった身体の不具合はそれは西洋医学で治した方がいいですけれど、それにプラスしたメディテーション的な要素は割と大事な気がします。生活を規則正しくしたりすることでなくなる頭痛や、部屋を片付けることでなくなる疲労ってあると思うから。
そんなことを超脱線しながら考えて見た映画でしたが、最後はやっぱりきっちり捕まってほしかったというのと、ショーンペンが微妙だったという理由でB+です。デミムーアはキレイでした。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *