8月の週末に、どこかキレイなところに行こうよという話になって友達とウンブリア州はアッシジという小さな町に行ってきました。
アッシジは実はクリスチャンの数ある聖地のうちのひとつです。なぜなら、かの有名な聖フランシスコ(サンフランシスコ、イタリア名フランチェスコ)の生誕の地だから。私は以前からこの「聖人(セイント、イタリア語ではサンあるいはサント、サンタなどと変化します)」というシステムをよく理解できず、今回も周りの人に聞いたりしてやっとなんとなく分かったのですが、サンフランチェスコは12世紀を生きた人で、そのキリスト教への貢献から没後に「聖人」とされた人なのですね。写真の大聖堂(バジリカ)が彼の遺骨が置いてあるバジリカサンフランチェスコ。写真に写っているドアは実は2階への入り口で、この丘の下に1階部分があり、さらに地下にフランチェスコの遺骨が置かれています。彼の死後である13世紀の建物。
聖堂の壁にはジョットーによるフランチェスコの一生がダイナミックに描かれており、かなりの迫力で思わず感嘆の声をあげてしまう人も少なくありません。でもそれよりなにより私がこのアッシジで忘れられないのは、普通の村の青年だったころのフランチェスコが「声」を聞いたといわれるサンダミアーノ教会。ここはアッシジの旧市街の壁をちょっと出て、オリーブ畑の間の細い小道を歩いた先にある教会です。フランチェスコの生きた12世紀では、これはきっと誰も使っていないボロボロの建物だったのでしょう。私はキリスト教におけるいろいろな「奇跡」はなんとなく眉唾だとうっかり思ってしまうのですが、この「声」のことに関しては、考えれば考えるほど、決して嘘じゃないような気がします。なぜならその「声」は耳で聞くタイプのものじゃないから。それまでの自分の人生や生活や経験やいろいろなものから何か考えることがあり、それが直接胸に響いてくる「声」になることは、確実にあると思う。そうやって何か衝動的なものに突き動かされることは、人生に数回あると思う。
フランチェスコのフォロワー(弟子?)はたくさんいたのですが、そのうちの最初の女性がキアラ(英語名ではクララなので日本ではクララとして知られていると思います)という人で、彼女はフランチェスコからこのサンダミアーノ教会を託されて、ここをサンダミアーノ女子修道院として貧しくも心豊かな人生を生きたと言われています。彼女も没後「聖人」と認められ、彼女の名を冠した教会(キエーザ)、サンタキアラ教会がアッシジの旧市街の中心地に建てられました。ほんのりピンク色のかわいらしい教会で、地下にはキアラの遺骨や遺品などが奉られています。
フランチェスコもキアラもどちらも共に、質素でシンプルで、ともすれば「貧しい」ともされる生き方で身も心もキリスト教に捧げたと言われる人々なので、ふたつのサンフランチェスコ聖堂とサンタキアラ教会の大きさや美しい装飾を見ると、かすかな違和感を感じる人は多いと思います。そんなときにサンダミアーノの小さなドアをくぐって貧しくも整頓されたお部屋を見たり、にっこりと笑って訪問者を迎えてくれる聖フランチェスコ会の会士、修道士の青年たち(腰に清貧、純潔、従順を意味する3つの結び目のついた帯紐をつけているのですぐ分かります)に挨拶していると、本当にいろいろなことを考えさせられます。
小さくもたくさんのキリスト教巡礼者や観光客で賑わうキレイなアッシジの旧市街のカフェでおいしいお菓子を食べていろいろなことを考えて、充実の夏の一日となりました。ローマから車で2時間ほどのドライブでした。