A Thousand Splendid Suns

book coverA Thousand Splendid Suns (Khaled Hosseini)
同じ著者のThe Kite Runnerを読んだ時にその話に感動すると同時にトピックのあまりの重さに胸がしめつけられてしまい、良い評判を聞いていてもなかなかこの本に手が出なかったのですが、今年の誕生日にイタリア人の友達のIに「これすごく良かったよ」と偶然プレゼントしてもらったので、出張中の飛行機の待ち時間に、と思って持ってきました。
だいたい私は出張には2冊の本を持っていき、帰る頃に両方読み終えて最後の空港でまた1冊買ってかえってくるというパターンが多いのですが、今回もそんな感じでこの本の前に1冊読み終えて、ダカールの空港で午前11時の飛行機がキャンセルされて午後3時まで待たされたときにこれを引っ張りだしました。案の定、最初から鈍い重い痛みがコンスタントに続き、ちょっとこのまま読み続けるのは厳しいかもと思いはじめていたチャプター5の最後(ページ35)でガツンとやられ、「こんなことが起こっていいのか!」とあまりの衝撃に思わず一気に最後まで読んでしまいました。もしかしたら、この本のどこかにかならずあるはずの「希望」をずっとずっと読みながら探していたのかもしれません。
確かに重みのある大切で貴重な話だし、これを読んで私の人生で起こった、あるいは起こっている全てのことが全くもって愚痴を言うにふさわしくないことがわかるし、何が大事なのか、人は何をしたいのか、私は何をしたいのか、などというようなシリアスすぎることを考えるきっかけになって人としてかなり成長できる本であることは確かなのですが、なぜか諸手をあげておすすめする気分になれません。
それは今現在も、彼の地で起こっていることが「〜というわけでした」というお話で完結できる状態にないということと、根底に流れるジェンダー問題が、もはや私の理解と想像をはるかに超えていることが原因だと思います。
それでも、「教育」というものが、たとえば方程式の問題を解けるようになることが、たとえば科学の実験をやってみることが、たとえばフランス革命の起こった年を暗記することが、どうして結果的に人を優しくすることに貢献するのか、というのがじんわり分かってきます(いや、そんなことは全く書いてないんですけどね)。そしてどうして優しい人の心は強いのか、どうして弱い人は暴力的なのか、ということも。
そして改めて日本という国にこの時代に生まれた私の最強の幸運に驚かされます。文中にタイタニック(映画)の話が出てきますが、アメリカ留学中にこの映画をのんきに見た自分を思い出して、なんだか説明が難しいのですが、1940年代前半に撮影されたロンドンでのダンスパーティの写真を見た時の衝撃を思い出しました。東京大空襲のころ、欲しがりません、と日本の国民が誓っていたあのころ、イギリス人はこうしてキレイなドレスを着て踊ったりしていたのか、と思った時の違和感。
ぎゅうぎゅうとしめつけられる胸の痛みがつらいのですが、読み終わって、393ページのJalilの手紙を読み始めた時から止まらなかった涙をせっせと拭いて、本を閉じて、ぐいっと自分を現実世界に引き戻してから顔を上げてみて、セネガリーズの青い服を着た若い空港清掃員のひとりが私にむかってにっこりしてくれたとき、文字通り、世界が違って見えました。優しい人になりたいと真剣に心から思いました。
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私の細かい読書メモ:
39ページ。
She let him guide her across the road and up the track. There was honeysuckle growing along the path, and milk-weed too. Bees were buzzing over twinkling wildflowers. The driver took her hand and helped her cross the stream. Then he let go, and he was talking about how Herat’s famous one hundred and twenty days’ winds would start blowing soon, from midmorning to dusk, and how the sand flies would go on a feeding frenzy, and then suddenly he was standing in front of her, ….
この部分がなかったら読み進まなかったかもしれなかったのが、ここから一気に最後まで読んでしまうほどの衝撃でした。
250ページ。
The years had not been kind fo Mariam. But perhaps, she thought, there were kinder years waiting still. A new life, a life in which she would find the blessings that Nana had said a harami like her would never see. Two new flowers had unexpectedly sprouted in her life, and, as Mariam watched the snow coming down, she pictured Mullah Faizullah twirling his tasbeh beads, leaning in and whispering to her in his soft, tremulous voice, But it is God Who has planted them, Mariam jo. And it is His will that you tend to them. It is His will, my girl.
この気持ちだけを探してここまで読んできた、という気分になりました。そしてこの希望をどうか、誰も踏みつけにしないでほしい、と子供っぽくも真剣に思ったり。
319ページ。
“GET AWAY, YOU!” Zalmai cried. “Hush,” Mariam said. “Who are you yelling at?” He pointed. “There. That man.”
ここはまったくもって予想していなかったので私の心臓も飛び上がりました。

2 Replies to “A Thousand Splendid Suns”

  1. またまた長いアフリカ滞在ですね。
    セネガルやマラウイをGoogleで探しました。私からすると宇宙のように遠い国だと思いました。
    ここにある本の内容は全く分からないけど、それとは全く関係なく
    あなたはアフリカに行く度に、アフリカの人に接する度に、人間が生まれた時は誰もが持っていたはずの知的感受性や優しさ、謙虚さ 穏やかさなど、ことあるごとにあえそれを自分の中に思い起こしているような気がします。
    紛争や飢餓の苦しみに毎日毎日逃げまどって耐えて生きている人々がいることを、ほんの少しだけ物質的に恵まれた平和な今の日本の暮らしの中ではつい忘れがちですが、平和だからこそ忘れてはいけないんですね。

  2. お母様:コメントありがとう。今回は全体的に見ると長い出張なのですが、5カ国を数日ずつまわっているため、自分ではそんなに長い滞在のような気はしません。そして今回はコンサルタントで友人のLと途中から一緒なのでいつもより精神的にずっと楽です。彼女の体調はもとに戻りました。それにしても宇宙のように遠いって、本当に遠いね!
    そしてお母さまの言う通り、出張中にぎりぎりの生活の中でも愛情にあふれた暮らしをしている人に出会ったり、今回読んだような本に出会ったりすると、その度に、ハンマーで殴られたような衝撃を心に感じます。そうか、こんなに限界な暮らしだと、困難を乗り越える強さは、優しさや愛情から生まれるということが逆にリアルに見えるのか、と納得します。当然日本のような、ぬるま湯の平和な生活の中にも、数えきれないほどの困難は存在し、その困難だって同じように優しさや愛情で乗り越えているはずなんですが、それが平和な社会では簡単には形となって見えてこないのかな、と。
    平和だからこそ忘れてはいけないという言葉は本当にそうだなと思いました。偽善者と言われても、表面だけのキレイ事だと言われても、「社会派だね」と鼻で笑われることがあっても、私の心がこうして実際に感じていることはリアルなのだから、と私は自分に言い聞かせて、斜に構えることなく、まっすぐ、私にできることからこつこつとがんばりたいです。

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