何だか抽象的なタイトルに見えちゃうかもしれませんが、実態はなんてこともなく、堀田氏の有名すぎる例の著書の結びが確か、西欧の国々が「死ぬのは嫌だ」と言いながら過ごしているのに対して、インドは「生きたい!」と叫んでいるのだ、というような内容だったため、その本を読んだ13歳の頃からずっと、私の中では「インド」は「叫んで」いるのです。
でも良く考えると、「インドは」じゃなくて「アジアは」だったかもしれない。
いずれにせよ、こうして初めてインドで数日過ごしてみて、まあそれがピッタリの表現だとは思いませんが、正直言って当らずといえども遠からず、といったところなような気がしてきました。インド、割と叫んでます。
まずこの国の人々のクルクルとしたまん丸の目に主張の強い眉、褐色の肌に映えるぷりっとした口元からのぞく真っ白な歯、そしてそこから出てくる英語!あのぅ…やっぱりそれは英語なんですよね…英国統治だったからきっと私のアメリカンかぶれのそれよりずっと正統派の英語なんですよね…。と気が小さくなってしまうほどに、ほぼ聞き取り不可能な英語。ちょっと江戸っ子なイントネーションも、リスニングの難度をかなりアップさせますが、その早さといったらすごいです。さすが2ケタの九九を国民全員スラスラ言えるだけあります(しちはちごじゅうろく、というのに3秒くらいかかるのにどうやって2桁ずつの九九を早口なしに言えようか)。
そして、YesなのかNoなのか分からない、微妙な首の横揺れ。思わず何度も何度も聞き返してしまいます。それってYes?と聞きたいけど失礼になったらいけないから「ホント?」などの変化球で片付けます。
テレビをつけると若い男女が大多数でインド版ウエストサイドストーリーのようなやつを踊っていて次のチャンネルにしても違うセッティングで似たようなダンス、その次のチャンネルもそんなかんじ、その次も、といった状況で思わずそこでリモコンを操作する手を止めてじっと見入ってしまいます。
そして美しいサリー。美しいんですがギラギラです。僧衣ってここから来てるんでしょうか、そっくりなんですけど。絹と金の糸で高価そうなのに実は300ルピー(10ドル)くらいなのでちょっと買いたい気持ちになりましたが、自分自身に「何に使うの?」と問いかけて我慢しました。といってもモダンカジュアルな3ピースのインド風ドレスのセットはしっかり買いましたけどね。ジーンズに合わせよう。
驚くべき事に至るところで、道路工事をしている女性がいっぱいいます。重い道具や石や水などをどんどん運びながらも美しいインドの衣装に身を包んでいるので、最初冗談かと思いました。物乞いしているひとも、皮膚は汚れているけれど、まとっているのは美しいインドの衣装。
そして道の端というよりは真ん中にほぼ裸で座るガリガリの老人。洒落抜きでガンジーにそっくりでした。私のインド人のカウンターパートが「あれみて!そっくりだ」と言っていたので間違いありません。恐れ多いんですけど。
特筆すべきは前回のエントリーにもちょこっと書きましたが、町中に鳴り響くけたたましいホーン(クラクション)とローマも唖然とするであろう交通渋滞。クラクションに至ってはここまでならす必要があるわけがない。でもワークショップに来ているスリランカの人とバングラデッシュの人に聞いたらかの国々でも同じということです。一昔前の英国車が多いので、ちょっと心が躍ります。
鉛そのものとしかいいようのない匂いの漂う汚れきった空気。日本の発展期にもこういう時代があったのでしょうか。歩いていると精神的に軟弱な私はこのまま匂いだけで死ぬんじゃないかと思うほど重い鉄の匂いがします。
そしてレストランにはいると様々な名前のメニューに心も踊り、目移りして必死で注文するも、いざ運ばれてくると、結局は全部カレー。まあ中身や微妙な混ぜ物やスパイスなどは違っても、一口食べると口の中に軽くボウっと火がつきあとは何でも同じ。と、いいたいところですがインド5日目にして恐るべきことに、マサラとダルとキリマールなどの差が微妙に分かってきました。恐るべしインドカレー。奥が深いです。
カオス。とりあえずどこにいっても「カオス」という言葉がぴったりな状況が広がっています。仕事で前向きな議論をしていてもインド人が入ってくると途端にケオティックになります。マイクロフォンをつかって発言するんですが自分のところのマイクのスイッチを切ろうとしないのです。そして理路整然とした理屈で次々と論破。頭も良いのでしょうがうーんとうなるほどディベート上手です。
というわけで箇条書きですがどんな感じでインドが叫んでいるかという、私なりの考察。あ、私もご多分に漏れずインドでなんちゃって考察してしまいましたね…。