村デビュー

20050926_phetchabunmarket.jpg週末を利用して、タイ中央部に位置するけれど、かなり田舎の村々の集まるペッチャブン県(プロビンスなので本当は郡だと思うんですけど、どんな日本語訳を見てもだいたい「県」と書いてありますね)に行ってきました。私の村デビューです。ところで、私はまるで「海外経験」が多いような気分が自分でもしてくることがあったりするんですが、恥ずかしながら、よくよく考えるとそんなことは決してなく、アメリカのしかものどかで平和なプルマンに住んでいただけなんですよね。カナダやヨーロッパなどには行きましたが、所詮「旅行」だし、住んだ訳じゃないので「経験」といえるほどのことではありません。私はいわゆる”Developing Country(発展途上国)”と言われるところに来たのはタイが初めてだけれど、バンコクなんてメトロポリタンだし私が20年くらい住んだ熊本よりもよっぽど”Developed”しているし大都会なんですね。で、このペッチャブンへの旅行で初めて、「ああ、私は生まれてこのかた見たことないところに来たんだな」と当たり前のことを感じました。写真をぜひクリックしてみてください。スライドショウがはじまって、ペッチャブンの村のマーケット(市場)の様子など見ることができます。11枚あって、なかなかロードしないかもしれませんが、お時間ある方は「おしまい。」と出るまで気長にどうぞ。是非是非、マーケットの様子見ていただきたいのです。


でも、このたった1泊の旅行でいろいろなことを考えさせられました。こんなふうに書いてしまうと、なんだかありきたりでイヤなんですが、結局私自身が「ありきたり」の反応をしているということでしょう。多分、私が今、空き時間に読んでいる本が不思議と私のこの「村体験」とシンクロするので(読書ってどうしてこういうふうになるんでしょうね、本屋さんでは適当に選ぶのにもかかわらず)、それがさらに私を考え込ませる原因かもしれません。うまく書けるかどうか分かりませんが、それはつまりこういうこと:

  • 「先進国」が「途上国」を「援助」しよう、という考え方は、どこかつかみどころがなく、「先進国」のエゴにしかすぎなく見えることがよくある。
  • 実際、「途上国」の人々の中にもいろいろな人がいて、アフリカで貧困にあえぐ家族(誰の目から見ても援助が必要そう)もいれば、こうしてタイの田舎の村で、どんな日本人よりも幸せそうに暮らす人(援助って大きなお世話なんじゃないかと思わせられる)もいる。
  • 私の研究のグラントは「途上国の開発援助」の枠から出ているということもあり(理由はそれだけではないけれど)、私は通常の「食品安全」のトピックにさらに、「経済発展」の項目を大幅に追加したプロポーザルを書いている。
  • この村の食品衛生状況は1(最悪)から10(最高)のスケールでだいたい「2」くらいだと思う。
  • 村の経済発展(村人の生活の質向上のボトムアップ)のためには、私のセオリーでは食品衛生状況は「少なくとも」「5」である必要があると思う。
  • スケールが「2」から「5」にアップしたところで、村人の生活がインスタントに向上するわけではない。
  • 実際その食品の衛生状況の変化に気づく人すらいないかもしれない。
  • 私の研究は結局私のエゴかもしれない。
  • でも研究なんてみんな基本的にはエゴだと思う。
  • もしかしたら研究だけじゃなくて他のどんな仕事だってエゴかもしれない。
  • そしてそれとは別に私が食品安全を考えるときにいつも気にする重大トピック、「生死」の問題がある。
  • 「先進国」の人であろうが「途上国」の人であろうが、特に精神的に病んでいない限り、人は基本的に「死にたくない」と思う生き物だと思う。
  • 特に、世界中の「お母さん」にとって、自分の子供を「死なせたくない」という気持ちは、世の中のどんな気持ちよりも強い気持ちなんじゃないかと思う。
  • でもみんな気づかないことが多いけれど、世界で「食中毒」で死亡するケースというのは驚くほど多い。
  • 「先進国」アメリカでも、「毎年」7千6百万人が食品(食事)が元になった病気にかかり、「毎年」5000人が、食事が理由で亡くなっているという報告が出ている(しつこいようですが、「毎年」)。
  • 「食中毒」は報告したり統計でまとめたりするのが難しいため、途上国ではその報告システムすらないので、年間食事が原因で死亡しているケースの具体的な数字はない。
  • でもそれは確実に5000人どころではない。
  • 1999年のWHOの推定だと「子供」だけで、「毎年」3百万人の子供が下痢を伴う病気で「死亡」し、そのうち70%以上が食事が原因だということ(しつこいようですが、「毎年」でかつ「18歳以下の子供だけ」かつ「死亡件数のみ」なのでつまり大人やシリアスな病気などを入れると天文学的数字になるということ)。
  • しかも、その原因は「化学物質が入っていた」とか「BSEだった」とか「鳥インフルエンザだった」とか「遺伝子組み換え食品だった」とかそういう難しい部門の食中毒ではなく、「作ったお母さんが手を洗わなかった」とか「肉を切ったまな板で生野菜を切って食べるのが危ないとは知らなかった」とか、「先進国」ではほぼ常識となっていることを「知らない」から起こったりする。
  • 実は先進国でも、行動原理学によると、「知識」は「行動」に直接結びつかない。
  • 衛生上の問題を知っていても、レストランなどで、食べる前に手を洗うのを忘れる人がどれだけいることか。
  • 「先進国」アメリカでも、トイレのあとに手を洗うアメリカ人男性はかなり少ないとか(Aさん談)。
  • 極論:手を洗うのを忘れたくらいで人は死なないと思う。でも子供やお年寄りや栄養状態の悪い人、病気の人などは「それくらい」で死ぬことが普通にある。
  • こういう、「お肉を切ったあとに野菜を切るんじゃなくて、野菜を切った後にお肉を切ったほうがいいよ」というような単純な「情報」は世界中の人にいきわたらせても、特に困る副作用はないと思う(一般に他の「開発」の分野、「橋の建設(環境)」などに比べて)。
  • 世界を救おうなんて思わないし、そんなこと思って口に出したりする人は、正直「変わっているな」と思うし、あんまりお友達になりたくないなーと思う。
  • それでもやっぱり、誰もが「良い人」でありたいという気持ちを持っていると思うし、多分私も持っている。
  • 他人に「評価」される「良い人」ではなくて、自分の心の中で、「良い人」でありたいという正直な気持ち。
  • この村はそんな「気持ち」を「おこがましい」と真っ向から否定されるような状況を見せてくれたり、「いや、でも人は死にたくないはずだ」と「大きなお世話」と言われることを覚悟で、その「援助」とやらに加担したくなったりさせてくれた。
  • こんな呑気な私にそんなことを一生懸命考えさせてくれる、この平和で美しいペチャブンの村は罪作りだなぁと思ったのでした。

5 Replies to “村デビュー”

  1. あータイ、行きたい!田舎体験がとても魅力的にみえます。
    とっても面白く興味深く書かれているよね!(勿論アメリカ生活も楽しく書かれてたけど)毎日ストーカーのようにブログ拝見しています。毎日きちんと更新されていて尊敬しちゃいます♪身体に気をつけてね!

  2. rieko:久しぶりー。タイ来て来てー。あと、りえこみたいな美人さんのストーカーだったら歓迎だと思う。誰でも。毎日更新してヒマだなーって思われてそうだなーって心配するけど、私、実際ヒマなのかも!また書き込んでね。

  3. タイですね。
    日本の村の暮らしと似たような所もあるのかしら?
    田植えや収穫の時は助け合うとか。
    こういう風景を見るとその国の食文化を知るのに、とても参考になります。紹介してくれてありがとう。
    ところでこの日は何処に泊ったの?

  4. 過去に3日間、電気もガスも水道もない太平洋ど真ん中の離島で過ごしたがありました。そんな場所に行くと、僕らが生きてる社会っていったい何なんだろうって思いますね。
    住人は数百人程度。みんな原始的に素朴な人たちで、とてもシンプルな生活を送ってました。反面、自分たちが作り上げたルールやしがらみで、自らの首を絞めて作り上げた先進国に住む僕ら。お金とか社会的地位とか、勝手に作り上げた価値観に一喜一憂するマゾヒストの集団に思えてしまった。
    そのギャップを感じることができるのが良いことなんでしょうか、それとも悪いことなんでしょうか。僕はそれさえ疑問に感じてしまった。

  5. お母様:そうね、どの家も鍵なんかかけていなくて、近所の人が普通に入って来て中で涼んでいたり、農作物の収穫の話をしているらしき雰囲気などは日本の田舎に似ています。でも、私がタイに来て毎日思うのは、「きっとこれってほんの十数年前の日本だな」という感覚です。といってもまだ私が生まれてもいない頃の日本かもしれないけれど。泊まったのはAewちゃんの実家から7キロほど北にある、Aewちゃんのおばあちゃんの家です。Aewのおばあちゃんはお金持ち農家の娘さんで、異常にゴージャスなお家でびっくりしました。
    ワタナベさん:ご無沙汰しています。気持ちよく分かります。よく見ていると、この小さな村でも、「昔ながらの伝統だから」とか「おじいちゃんがこうしていたから」とかいうような一見意味がなさそうでありそうな「ルール」や「価値観」が存在しているみたいですよ。経済発展すると、それがさらにシステマティックになり合理的になっていくのかなと思います。
    「先進国」vs「途上国」の「幸せ度」の話なんか聞くといつも、いろいろ難しく考えてしまいますね(そして結局答えはでない)。でも私みたいな日本人がついうっかり忘れがちなのは、「先進国」日本は、戦後の欧米諸国の「開発援助」によって今の姿になったということですよね。アメリカに来て初めて「ああ、戦後に日本に行って学校を建てたよ」とかいう退役軍人さんがたくさんいることを知ってびっくりしたことがあります。学校給食だって、当時の日本の子供のひどい栄養状況改善のため(占領地域救済資金:小麦粉の寄贈など)、そして男女平等に教育を受けさせようというアメリカのプロジェクトのひとつとして始まったんですよね(食べ物があるから子供を学校に行かせて食費を浮かせよう、という親にとっての「きっかけ」をつくり、子供の労働を減らすというプロジェクト)。
    それを思うと、その恩恵をたっぷりうけた私って、やっぱり日本は「開発援助」うけて良かったと、そう思ってしまうんですよね。だからといって今の「途上国」が現在の日本のような国になりたいかどうかは「?」ですけど、こればかりはそれこそ個人の「価値観」の違いかもしれませんね…。どうなんでしょうか。

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