野良犬ちゃんと坊や

こちら金曜日にコラートで撮った写真なんですが、ずっと「タイには野良犬が多い」と書き続けてやっと写真が撮れたので公開です。結構かわいいでしょう?こうして男の子が犬を呼び止めて、ずっと頭に手を載せたまま歩くのでかなりかわいかったです。ところでどうして金曜日に遊んでいるかというと、今週は金曜はタイでは母の日&シリキット王妃さまの誕生日ということで大々的に祝日なのです。それで3連休というわけ。母の日ということもあってバンコクに来ている学生などは自分の地元に帰って、お母さん孝行をして過ごすということです。良い話ですね。で、こうして家族連れで公園にきて楽しんでいる一家もいたということでした。コラート、なかなか大きな町ですが、やっぱりバンコクに比べると「途上国に来た」という感がかなりありますね。いや、バンコクだって、大都会の中、ちょっと小道に入るとすぐ「途上国かも」と思えるような状況に出会ったりするんですけどね。まあ、日本だって田舎にいくとスゴいところありますよね。そんな感じでしょうか。


400メートルくらいずっと一緒に歩いていた犬と少年ですが、両親のもとへ行くと、こうして犬はふーっと離れていきました。子供の方がさみしそうです。子供と言えば、私は今、ホテルのすぐ外のテーブルで、バンコクにしては強い涼しい風にあたりながらこれを書いているのですが、出稼ぎにきた工事現場の人々の子供でしょうが、5人くらいのやんちゃな男の子に囲まれて、20分ほどずっと遊ばれました。コンピュータが面白かったのか「カートゥーン、カートゥーン!」とリクエストされ、グーグルのイメージ検索で「ウルトラマン」検索をしてあげたところ(ってぜんぜんカートゥーンじゃないけど、5人のうち3人がウルトラマンのTシャツを着ていたため、ウケるかなと思って)、案の定大受けしました。あ!これは書こう書こうと思っていたんだけど、私昔Debbieというタイの女の子と仲良くしていた時期があったんですが、Debbieがすぐ、「ホーイ!ホイー!」といっていたのは、デビー特有のものじゃなくて、実はタイ人特有のものでした!!この男の子達、ウルトラマンを見るなり、「オイー!ホイーー!ウルトラマーン!」と大騒ぎでした。あー面白い。
こちらコラートで食べ物を売り歩くおばさん。こうして天秤をかついでものを売るのは何もコラートや田舎に限ったことではなくて、バンコクでも郊外に行くとけっこう目にします。さすがに、バンコクの中心地では見かけませんが。そしてタイの人でも、「あれは危ないかも」と思っているということを知りました。「歩いて食べ物を売っている人から食べ物を買ったらだめだよ」と言われたからです。うーん、屋台とどれくらい違うか、って言われるとつまるんですが、まあ、歩いてますからねぇ。トイレとか手洗いとかどうしてるかといわれると、屋台より水へのアクセスが少ないのは確かかもしれませんから、そういった点でしょうか。あと、自分が立ち止まるときにこの天秤のようなものは地面に置くしかないので、屋台よりはかなり低い位置に食べ物を置く事おになりますよね。この「高さ」(あるいは「低さ」)というのは実は食品安全の中では重要事項です。かならず、マニュアルのようなものに、地面から何メートル何センチ以上、とかそういった記述があります。まあ、普通にナッツとか売っている分にはかまわないとは思いますが、生ものはお気をつけ下さいということで。
そしてこちらはさすがになかなかバンコクでは目につかないものですね。子ゾウです。象の子といえば、著作権がもう切れていると思うのでそのまま引用しますが、私はいつも北原白秋を思い出します。
「象の子の話
わたくしがまだ昼も晩も美くしい夢ばかり見てゐた若い若い頃のことでした。
このわたくしがある夏の夜の夢の中では小さな灰色の象の子になつてゐました。
わたくしは空を仰いでゐました。
空はあをあをと深ううるんでをりました。雲は白く光つて、見わたすかぎりの野や森やがまるで金いろの仏画見たいにぎらぎらしてゐました。何でも熱帯の七八月頃で、その暑さと云つたらありませんでした。
そのとき、わたくしは灰いろの長いお鼻をふりふりあるいてゐました。
とても驚いたのですが、直径一間半もあらうと思はれる、大きな、それに花弁の厚い黄いろい花が、地面からぢかに咲いて、それが足の踏み場もないほどむらがりむらがり照り輝いてゐるのです。わたくしはうれしくておもしろくて飛びあがつてしまひました。
だが、わたくしはどうして自分がそんな見も知らない花の間に立つてゐのか、どうして自分が象の子になつてゐるのか考へもつきませんでした。いや考へなかつたと云つた方がほんたうでせう。なぜかと云へば、はじめから自分は人間の子供でなくて、象の子だつたやうな気がしてゐて、何でもさうしてゐるのがあたりまへで、べつに不思議でもなかつたのです。
わたしや象の子おつとりおっとりしてた。
何か知らぬがゆつくらゆつくらしてた。
お眼々ふさいでうつとりうつとりしてた。
お鼻ふりふりゆうらりゆうらりしてた。
さうして小半日も思ふぞんぶんに遊びまはつてをりました。何処までもあるいてゆききました。のんきな象の子でした。どうかするとうつとりうつとりねむくなりました。
蒸しあまい花のにほひがそこいらにいつぱい満ちあふれてをりました。何といふ激しい光と明るい空気でしたらう。と、
坊や、
おまんまだよう。
といふ声がして来ました。いつでも楽しく遊んでゐると、夕方なぞには、おまんまだようです。いやだなあ、まだ遊んでゐたいなあと象の子の僕も思つたのです。お鼻ふりふりです。
いや、まだその前にお話があります。ふつとお鼻をあげて見るとそれは美しい銀の槍を持つた大勢の家来を引きつれた王様のやうな燦々した風をした方がわたくしのそばに来て、何だか「ほう、いい子だなあ。」とおつしやつたやうな気がしました。と、いつのまにか、わたくしの頭のうへに小さなピカピカする銀の王冠が載せられてありました。
その銀の王冠をつけた、灰いろの、三角耳が両方に垂れて、ももいろの眼の細い、さうしてお鼻の長い、わたくしは象の子でした。
わたくしはまだまだいつまでも遊んでゐたいと思ひました。
ところが、ある時、何かの雑誌を見ますと、南米の何処かで咲く何とか云ふ花の写真が出てゐました。まつたく、色も形も大きさも、地面から咲いた姿もわたくしの夢で見たとほりの花だつたので、じつに驚いてしまひました。すると、自分もほんたうは象の子ではないかしらと云ふ気もちが出て来ました。それで森鴎外先生(この方はわたくしどものえらい小父さまでした。)のところへ行つて、その話をいたしますと、
「さうだね、君は狼でも兎でもなささうだね。なるほど象の子かも知れん。」
とお笑ひになりました。
皆さん、のうろりのうろりしてゐるのはほんとにいいものですよ。ほんとにわたくしは象の子かも知れません。そして、
坊や、
おまんまだよう。」
なんとも言えない話です。最後が良いですよね。他にも北原白秋にとって象は特別らしく、「ぞうのこ」という動揺も有名です。でもこの童話(?)というか随筆を思い出しながら、コラートの道ばたにたたずむ子ゾウを見ながら、なんとなくこの写真の子ゾウの人生(っていうかゾウ生)をちょっぴり悲しく思いました。「のうろりのうろりして」、「いつでも楽しく遊んで」いるのかどうかは分からないところですよね。まわりにその美しいお花も咲いていないし。でもまぁ、タイではゾウは「神聖」だと言われつつ、人々の交通手段になってきたらしいので、そのあたり現実的に人の助けになるからこそ、神懸かり的な何かを見いだされてきたと思うので、この子ゾウも、何らかの人の助けになり、それが神聖なゾウの神聖たる所以なんだ、と無理矢理納得することにしました。あ、そうだ、「ぞうのこ」といえば私の母のエピソードもあるのですが、それはまた後日ということで。

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