プルマンが影も形もなかった頃の話

木曜日に、Janetが予約をとってくれたので母と3人でThe Staley Museumという、プルマンで個人がやっているという邸宅にお邪魔してきました。まだワシントン州が州ではなく、テリトリーだった頃、ノースキャロライナ州のStaleyという町を築き上げた大Staley家の息子の一人、Daniel Staley氏は、妻のCatherineと5人の子供と一緒に、新天地、西部にて新生活をすることになりサンフランシスコ、オレゴン、とやってきましたが、何が彼らを導いたのか、最終的におちついたのはワシントン州東部のこのWhitman Countyでした。その頃プルマンはおろか、隣町モスコウだって存在せず、唯一あったのはColfaxという現在のプルマンの隣町のみ。そこにはお店が1軒あるだけだったそうです。そしてただただ、広がる荒れ地。

Staley氏は小さな小屋から生活を始め、そのあたりをStaleyと名付け、少しずつ、少しずつ町を作っていったそうです。農業や商業でお金を貯めて、ある程度裕福になってから(もともと裕福な一族ではあったのでそんなに時間はかからなかったとは思いますが、何もない荒れ地に町をつくったのですからすごいことです)、この家を1889年に建てたということです。現在は完全にリストアされ(実際にあった場所から1993年に少し移動され、家具、内装なども修復されています)、ひ孫の子供にあたるMollyとそのご主人、Jackが管理をして、なんと無料で見たい人にパーソナルツアーをしてくださっているのです。なんと、寄付も受け付けていないとか。お話していても暖かく、本当にアメリカの、日本に比べたらずっと浅いけれどずっとずっとワクワクするような開拓の歴史を愛している、素晴らしいおふたりでした。

このツアーで知ったことはたくさんあるんですが、やはり気になったのは私の母校であるWashington State Universityの歴史。今まで3回も卒業式に参加しているのでWashington State Universityの前身はWashington State Collegeという農業大学だったということはよーく知っていたんですが、なんと、そのさらに前身はColfax Collegeといって隣町、Colfaxにあったそうなんです。そのころは卒業するのは2人とかで、そのうちの一人はもちろんStaley家の息子。まるで筆記体のモデル練習帳のような美しい字での手紙、Colfax Collegeの卒業のアナウンスメントなどなども丁寧に保存されていて感動しました。本当に、驚くほど美しい字。しかもそのころはペンなんて、インク壷からつけて書いていただろうし、と思って感動しながら読んでみましたが、その手紙の内容も、その英語のグラマーも、本当に美しいものでした。日本で昔の人の手紙を見てその字の美しさや内容の美しさに驚きますが同じような驚きでした。こんな荒れ地しかなかったこの地域を小麦畑にして小さな町をこれだけの大学町にして、本当に人の力ってすごいです。

この邸宅のツアーは上の写真にのっている電話番号でアポイントメントをとると、個人的にしてくださるそうです。プルマンに住んでいる方で興味がある方は是非是非どうぞ。ディレクションなんかも電話で教えてくださるはず。

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