母校活水大学を訪ねる

今回の帰国の大きな目的のうちのひとつに、私なんかがこうして学位をいただけたのも、全て、私のまわりにいてくださってアドバイスをくださったり励ましてくださったした皆さんのお陰だという気持ちが強く、そんな方々に会ってお礼を言いたいというのがあったのすが、私の母校、活水大学の先生であるI教授にも是非お会いしてお礼を言おうと思って長崎に行ってきました。これはその母校の入り口とも言える、かの有名な長崎オランダ坂。写真は今回ではなく、2000年に訪れたときのものを使用しています。当時にこの写真の説明として

長崎の母校に行って来ました。あまりにも有名な、オランダ坂をのぼり切ったところに私の母校である、活水はあります。この坂は本当に美しい坂で、私はとってもとっても気に入っています。左側に見えているのが、ツタ、カヅラなどに埋もれた、美しい紫陽花。長崎は常に雨で、紫陽花の季節は本当にキレイです。常に雨のところって、住むのは大変だけれど、美しい町になるような気がします。シアトルもしかり。

なんて書いてますが。今回は写真が多くて重いですが、ご了承くださいね。まだまだ下に続きます。


上からみるとこんな感じです。東山手のオランダ坂、というと、観光ガイドなんかにもしっかりいろいろと書かれていてなんだかすごく有名ですが、実は来てみると、そんなに言うほどスゴイ坂ではないのです。情緒はあるしキレイだけれど、やっぱり普通の石畳の坂。上に書いたように活水大学の入り口でもあるので女子大生がたくさんこの急な坂を毎日のぼっている、という意味ではわりとスゴイ坂だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが。でも活水大学の女子大生、卒業生なんて私も含めて(?)わりと素朴で(ですよね?)そんなに楽しいこともないかもしれません。でも私にとっては行く度に、見る度に、胸が文字通りきゅんとしてしまうような素敵な坂なのです。
このオランダ坂の石畳は、研ぎ石を使ってあるので、雨が降って濡れてしまっても、スベらない、という利点があるそうですよ。歩き心地もなんとなく柔らかな石の上という感じです。それにしてもどうしてこんなにウンチクをすらすらと言えるかというと、こうして毎日大学に通うためにここを歩いていると、季節によってはたくさんの修学旅行生、たくさんの有閑マダムさまたちの観光ツアーなんていうのに出くわすことが多々あり、「シャッターおねがーい」なんて言われてしまうのですが、そんなときにツアコンのみなさんや、タクシーの運転手さん(長崎のタクシーの運転手さんというのはツアコンレベルの知識をお持ちですよ)の説明がしっかりと耳に入るというわけなんです。
そんなオランダ坂をせっせとのぼると、右手に活水の卒業生センター(アメリカでいう、いわゆる、アルミナイセンター)があり、左手に活水の正門があります。私が通っていた当時の思いでとしては、長崎ではかなり有名な野良猫ちゃんたちがここの守衛さんになついていてたくさんこのあたりにいたのですが、現在は守衛さんも変わってしまったのか、衛生のためなのか、もう野良猫ちゃんたちの姿はありませんでした。ここの守衛さんのチェックはわりと厳しいですよ。基本的に男子禁制だし(もちろん職員や、お仕事などの用事がある方はOKですが)入校証なしには入れません。そしてさらにオランダ坂にそっくりな坂をのぼっていくと、この写真のような校舎がバーンと見えます。これは大学の中心地である、六角堂と呼ばれるものが組み込まれた、十字の建物です。こうしてみると、とってもキレイですよね。中身は実は老朽化してしまっているのですが。
同じような写真ですが、これが本館といわれる建物です。入り口をはいって右手2階が大礼拝堂(大チャペル)、右手に学務課、教務課などの管理課がならんでいます。共通している赤い三角屋根は活水のシグニチャとも言えるもので、もはや活水といえば赤い三角屋根、洋館風の校舎、そして十字架を象った校章というのが長崎では常識です。これは今回お礼にうかがった先生から教えていただいたのですが、この東山手にある活水のキャンパスは文化財指定されていて、保存のための補修なども市や県などからのサポートがあるとか。といっても私立大学ですからほとんどは大学が出すのでしょうけれど。
これは当時、建築がかなり難しかったという六角堂の上部。ところで活水大学は「かっすいだいがく」と読みますが、由来はというと、当然新約聖書からです。新約聖書のヨハネ福音書4章10節を見ると、「さらば汝に活ける水を輿えしものを」(これは文語訳で、現在は生ける水との記載になっているかと思われます)という一節があり、意味としては主がおあたえになる水は希望(一生乾くことのないもの)に満ちあふれている生命の水であり、活水大学の学生はその活ける水を汲み取り、そしてさらに周囲の人に与えることによって心豊かで愛と品位のある女性になるようにとの願い込められている、という説明を入学式のときに教わったのですが、こういうのは古くさいようで、お説教じみているようで、わりに心に残るいい言葉だったりしますね。私はまわりの方々がなんとかして私に与えてくださろうとしているものを「汲み取る」ことはようく頑張れるようになってきたかもしれないけれど、それをさら周囲の人に与えるだなんてまだまだだなーなんて、この活水の由来を人にお話する度に思ってしまいます。
そしてこれがその入学式などが行われる礼拝堂。奥の左側にあるのがパイプオルガン。超高額なものだそうです。ここで週に2回、礼拝を受けて、お祈りをして、賛美歌を歌って、と、当時は面倒で面倒でたまらなかったことが今となってはものすごく懐かしく、しかもなんだか厳かですらある思い出になっているのが自分でもかなり不思議ですね。人の意識って変えようと思っても思わなくても、変わるものなんですね。
これはまた別の場所にある礼拝堂(小)。2000年にこの写真をとったときには「窓がステンドグラスで黄色になっていて、不思議な独特な雰囲気をかもしだしています。ここで、音楽の授業を受けたりしたことをふと思い出しました。最初の1曲目が、ジョンレノンのイマジンだったりして、まさか、この活水でこの曲を聞くと思っていなかった私はとっても意外が気がしたものでした。」なんて書いてありますが、まさにそれが私のこの礼拝堂での思い出ですね。
ここからが、今回とってきた写真なんですが、まずは新戸町にある活水大学の寮です。楠光寮(なんこうりょう)という名前のもの。これは私が在籍していた当時からあった建物ですが、東山手のメインキャンパスから車で10分ほどかかります。東山手は長崎市の中でもかなりの中心地にあり、有名な新地中華街、銅座、築町、思案橋、浜町などにも徒歩でいけますが、この新戸町の寮に住む学生は大学のマイクロバスで移動だそうです。それも大変そうですよね。
と、思っていたら、2002年にこのあたりにさらに校舎がたち、栄養学科を含む学部の建物もできました。この写真がその校舎。音楽科の校舎もとなりにあります。中はかなり立派で、自動ドアだし(これは東山手には絶対にないものなのです!文化財ですから!)エレベーターだし、2年経った今もまだ新しい建物の香りがするし、とにかくすてきでした。寮のそばには芝のテニスコートもあって、ウィンブルドンも始まったことだしなんだかタイムリーに感動します。長崎はやっぱり田舎の町ですが、それでもこうして私の母校がちんまりと、タマには堂々と、すてきな姿でいるのはとても嬉しくしあわせなことですね。楽しい母校再訪でした。会って下さった方々、本当にありがとうございました。楽しいひとときでした。

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