Magnolia

20040322_magnolia.jpgMagnolia (1999), (C+)
邦題も「マグノリア」。3時間ですよ。長い。私、思うのですが、映画の途中で、「この映画長いなぁ」と一瞬でも思ったら、やっぱりエンターテイメントとしてはダメなのではないかと思うのです。芸術、アートとしてはいいのかもしれませんが、私は難しいことがあまり分からないので、やっぱりトムクルーズだったらミッションインポッシブルだよなーとかそういうノリなのでごめんなさい。
自分のためのメモとして、私なりの解釈を続きに書いておこうと思います。これから映画を観ようと思っている人は読まない方がいいかも。でもC+ですからねぇ。
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私なりの解釈、なんて超エラそうですけれどね、なんだか最近キリスト教づいてますが、やっぱりこれはキリスト教のバックグラウンドが必要かなーなんて思います。私だってクリスチャンじゃないし、そんなに聖書を一生懸命読んだ記憶もあまりないのですが、やっぱり大学のとき3年間も火曜日と木曜日に礼拝に行っていたのと、一般教養で「キリスト教学」という講義を毎週90分受けていたので、聖書の重要部分はだいたいカバーしていたのだなぁと知ってわりと驚いています。
要はこれは「ミステイク」の映画なのですね。許せるミステイク、許せないミステイク、さまざまなミステイクを人は犯すわけですけど、どうしてなのか(あるいは別の言葉でいえば、どうして神はそれを望まれるのか)、どうやって対応するのか(神は何を学ばせようとしているのか)などの解釈じゃないかなーと思います。最後に、「うっわ、これはうちのお姉さんはぜーっっったい観れないな」と思うようなカエルの雨が降りますが(言葉通りに大きな蛙がガンガン降ってきて血を流して死んでる)、あれは確か、聖書だとエジプトのファラオ(だったと思います、違ったら教えて)のミステイクの話だと思うんですよね。
蛙が降って(ファラオのときはナイルからすごい数が這い上がってきて、生きていたはず)いるすごく短い間は、「なんでこんなことに!ひどい!こわい!」という気持ちでいっぱいになり、自分が死にそうなときは、「ああ、なんてことをしてしまったんだ、謝りたい」という気持ちでいっぱいになるのですが、蛙が死に、死臭を漂わせ、片付いてきてそのことが去ってしまうと、人はまた自戒を忘れ、傲慢になる。ファラオも反省を忘れ、神様に(モーゼだったかも)従わない。そんなことしてると、恐ろしいことに、神様は次は虻(アブ)を送るんですよ。虻がきますよ。虻でも言うこときかなかったら確か炭かなにかが降る。ありとあらゆる気持ち悪い、怖い、見たくないものが次々に降るのです。
それにしても全ての登場人物がつながっていく様子は最近みたLove Actually(どうでもいいですけどこの中途半端なタイトルどうにかしてほしいですね)に似ていて無理矢理感がなきにしもあらずですが(あ、Love ActuallyがMagnoliaに似ている、と書くべきですけどね)、みんな病んでますねぇ。お金持ちって病んでしまうのかしら。
これを見ていると、トムクルーズの恐るべき存在感にびっくりします。やっぱりオーラってあるんですねぇ。他にオーラを感じたのはエクストラでしょうけど、逮捕された黒人のおばさん。あの人は存在感があった。
まぁそういうわけで、ってどういうわけか分かりませんが、人に物事を考えさせるという意味でこの映画は良いのでしょう。エンターテイメントやワクワクを求める私の方が、結局チープで感受性がないということになるのでしょう。私は、「人はミスをするものだ」という前提をおおっぴらに言うのがキライですけどね。もちろんそれは本当だろうけど、それを言葉にしてしまうと、開き直る人がいっぱいでてくる。ああ、だから蛙の大雨が必要なんですね。お姫様物語のように ..and they lived happily ever after. というわけにはいかないから。「そして雷と雹の嵐が起こって人々は死んでしまった」で終わるほうがよっぽどリアルだという、そういう結論なのかしら。だとしたらかなりネガティブだ。でも、それは結構言えてるかも。

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