The Purpose Driven Life: What on Earth am I Here for?

The Purpose Driven Life: What on Earth am I Here for? (Rick Warren)
今年は映画、「パッション」も公開されたし、なんだかキリスト教への理解を深くする人もいるのではないかと思いますが、私が通った幼稚園がその名も聖母愛児幼稚園という、カソリックそのものの幼稚園で、大学もプロテスタントではありましたが、イギリス人のラッセル先生が創立された活水大学というところに通い、多分一般の日本人よりは私はキリスト教へのエクスポーズが長い気がします。

追記(4/21):読み終わりました。アメリカに来て、しかも、こうして長く滞在していて初めて気づいたことですが(多分こちらにきて6年くらいのとき)、キリスト教は日本人がとらえているいわゆる宗教のひとつではないなぁ、とハッとすることが時々あります。というより、多々あります。ただ、宗教話というものはわりと繊細なのであまり話題にならなかったりすることも多いのですが。

例えるとすると、私の直接のアドバイザーであるValは教会の活動のスーパーバイザーで、毎週アクティブに活動していて、あるときうっかり、私が私の大学の話をしていたときに、私も礼拝に毎週2回行っていた話をしたら「なぜクリスチャンにならなかったの?」と、おだやかに聞かれました。私はすぐにはなぜかをちゃんと説明できず、「多分、日本に長く住んでいると何かの宗教に深く属することはかなりのコミットメントで、ある程度の大きなきっかけや強い信条がない限り、キリスト教は珍しい宗教ではないけれど、私の近い人にも信者はいなかったし、クリスチャンになる、というオプション自体が私には思いつかなかったのだと思います」と一生懸命答えました。でもその答えはValを満足させるものではなかったようでした。彼女はとても優しい人ですが、かすかにがっかりしたような顔をされました。きっと、もっとキチンとした文化的な背景を知りたかったのでしょう。

それでそれ以来、私は私の(そして他にもたくさんの人のでもあるとおもいますが)指標である、「相手に理解してもらうためには、先に相手を理解する」を密かに実施しているのです。この本を読もうと思ったのもそんな動機。クリスチャンにはならないし、なれないと思うけれど、私のできる精一杯の範囲で、クリスチャン、ノンクリスチャンの”Purpose Driven Life”を学びたいと思ったのです。

追記(4/21):感想ですが、この本、40チャプターあり、ひとつを1日で読みましょう、ということになっているのですね。聖書が教えいっぱいの哲学書として読まれるとしたら、この本はその解説書といった感じでしょうか。正直に言うと、やっぱり「こうなっているんだから」とか「神様の思し召しだから」とかそういうのは、やっぱり文化的背景の違う一般的な日本人には結構受け入れがたいものだと思います。もし、私がキリスト教の教えを、「なるほど」と受け入れるとしたら、それはやはり聖書からであって、解説書からではないかもな、と思ってしまいました。最初に、「コミットして読みましょう!」とまるで小学生扱いな感じがちょっとやっぱり抵抗あるのと、文体があまり好きじゃないのとで、勉強にはなったけど読んでよかったという感じではありませんでした。残念ながら。

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