The Last Juror (John Grisham)
先日届いた、グリシャムの新刊です。久しぶりに法廷スリラーぽくてわくわくしています。まだ邦訳出てないみたいですが、アマゾンサーチでそのうち出るでしょう。読んだら感想書きます。
[ 洋書籍 | 日本語訳書 ]
追記(3/21):昨日、読み終わりました。感想は下に続きます。
まず、この本を読んでいて気づいたことは、このジョングリシャムという人は、彼の生涯を通して、彼の全ての著書を通して、ひとつの大きなストーリーを作っているのだな、ということ。私の読書履歴を読んでくださったことがある方は分かると思いますが、私は彼の弁護士的バックグラウンドよりも、彼の南部のバックグラウンド、クリスチャンのバックグラウンドからのストーリーテリングに心を打たれることが多いです。
連続して彼の著書を読むと、ちょっとしたシーンで、別の彼の著書を思い出したりすることがあります。例えば、今回はイタリア系移民のお話が少し入っているのですが、南部は綿花プランテーションがありましたよね。そこに働きに来ていたイタリア系の人々の扱われ方などなどを読んでいると、”A Painted House“の情景が、びっくりするほど唐突に私の脳裏に広がるのです。他にも主人公が勇気をもってプロテストする姿は”The Street Lawyer“を思い出してしまうし、なにもかもが、つながってくるのです。
彼の一番描きたいのは、こうやって書いてしまうと陳腐ですが、人です。南部のアメリカ人のユニークでかつ情に左右される繊細で図太い人々。もちろん黒人問題は南部とはきって切れぬ関係にあるし、彼らのアフリカゆえんの、強い、厳しいキリスト教への思い、神様とのつながりは、グリシャムにとって、なにか特別なものだと思えます。そして彼のキャリアであった弁護士としての知識がお話に色を付け、スリラーとして読者にページをどんどんめくらせるアクセラレーターになっているのです。
別にアメリカが、南部が、黒人が、弁護士が特別ではないと思うのです。人にはふるさとがあり、自分の生まれ育った土地のことは、知らないうちにそうでない土地のことよりずっと理解しているだろうし、知らないうちに特別な思いを持つものだと思うんです。わたしにとって、熊本はそんなところ。熊本だってアメリカの南部に負けないユニークさを持っているし、問題もいっぱいあるし、愛すべき人がいっぱいいます。それは東京だろうが、ラモツエさんの住むボツワナだろうが、同じだと思うのです。だれもがそのことに気づくその瞬間が、人生のどこかにあると思うのですが、それをグリシャムは彼の特別なタレントによって人に伝えることができるのです。
本は3パートにわかれていて、パート1はそれだけで普通のちょっとドキドキする法廷小説になっています。全355ページの半分くらい。そして本来の、この本の読みどころがパート3。パート2はその1と3をつなげる大事なところですがかなり短めです。パート3の最後は、ちゃんと謎解きが隠されていて、ああ!と気づく瞬間が、スリラーとしての魅力ですよね。ああ!あの人か!そういえば伏線はられてた!と叫びたくなります。そして最後のなんともいえない気持ち。”I knew this was coming…”というさみしいけれど納得する気持ちで読み終えました。
では最後に好きなところを引用しておきます。まずは冒頭、71ページ。
It was hard not to take this personally. She certainly didn’t intend to criticize anyone. I vowed to proofread the copy with much more enthusiasm.
I also left with the feeling that I had entered a new and rewarding friendship.
多分、これは私の推測ですが、一昔前まで、日本人には「中途半端なのは恥ずかしいことだ」という感覚があったと思うんです。みんな、20歳くらいでちゃんと大人だった。もちろん今の人と同じくらい中途半端な人もいっぱいいたんだけれど、みんな恥じていたはずだと思うのです。私もいろんな面で自分が中途半端だなぁと思うことがありますが、私は少なくとも恥ずかしい。今の日本社会では(というと大げさかもしれないけれど)、「えーだって、あたしそんなの知らないもん」とか「誰もそんなの教えてくれなかったよ」とか「そんなのできないよ」とかいうのが普通に、まっとうないい訳として通用しているきらいがあると思います。「そんなミスだれでもするじゃん」とかそういうの。
日本はちょっと映像が乱れただけでテレビ局にすごく大量の苦情がくるらしいですが、私は最初はそれが大げさで意味のないことだと思っていたんですね。「別にいいじゃん、たかがザーっとなるくらい」、と思っていました。でもアメリカに来てから、それが日常茶飯事よりもさらに頻繁に起こる日々に慣れてくると、「たいしたことないミスは犯してもよい」社会に疑問を持つことがあります。テレビくらい、と思いますが、そんなミスをしないように最初から必死になって気をつける姿が、大事なのではないかな、と思うのです。そんなことを考えさせられた一節でした。批判されたり指摘されたりするのは痛いしたまにすごく傷つきますが、そういう人こそが自分にとって大事な人なんですよね。だって、私のことなんてどうでもいいと思ってる人はそんなことわざわざ教えてくれないから。
では次は96ページ。
I wrote that down. Then I hustled out of the courtroom as if I had an important deadline.
巨匠の言葉なのですね。自分への戒め的に。
では最後に一番のお気に入り。201ページ。
My hunch was that they had been so spoiled by Miss Callie’s cooking that nothing would ever measure up.
私も、最初のパラグラフを読みながら、まさに、彼のhunchを思いついたの!そうよ!絶対そうだ!だって、読んでいるだけで、おいしい南部料理の香りがしてくるみたい!