Prey

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Prey (Michael Crichton):今、研究の合間をみてマイケルクライトンの「プレイ」を読んでいるんですが、ジュラシックパークのような斬新さはないものの、あたしはかなりひきこまれています。最初に著者本人のナノテクノロジーに対する考えのようなものがずっと書いてあって、それを読むと、その彼自身のライフワークというか、何が彼を導き、今に至るまでになっているかというのを考えさせられます。

よく、日本なんかで彼は、「ハーバードの医学部を卒業し作家、映画監督、TVプロデューサーなどをつとめる」なんて書かれ方をしてますが、私がここでポイントアウトしたいのは、彼はハーバードの医学部を単純に「卒業」したわけではないってことです。いや、けなしてるんじゃなくて逆です。アメリカの医学部っていうのは普通、まず大学で4年間、医学の分野の学士(BS)を取得しますね。それはバイオロジーだったり、バイオケミストリーだったりケミストリーだったり、またはプリメドといわれる医学部準備学部のようなものだったりします。そのあと、だいたい人はそういった分野か、あるいは心理学、教育学、コンピュータ、ビジネス、外国語、などの修士課程(MS)に進んだり、そういう副専攻、あるいはダブルメジャーを選んだりします。医学者というのは科学頭でっかちではいけないという理由で、アメリカではなんとなく、必須ではないものの、そういった教育に導かれがちです。クライトンは人類学を選んだみたいですね。トップの成績だったらしいですよ。[ 洋書籍 | 日本語訳書 ]

追記(2/24):結局昨日は勢いで”Prey”を読み終えてしまいました。ゆっくり読もうと思ったのに、3日間。映画化を意識しているのか、爆破シーンとか、目に浮かぶ感じでハリウッディでしね。でも最後は深く頷く感じ。感想などさらに下に続きます。

マイケルクライトンは人類学を学んだその後にメディカルスクールに進んだわけですけど、「ハーバードで医学を」というところに達するまでは、つまりそれだけすんごい道のりがあるというわけなんです。それと全く同じことが法学部にもいえます。ハーバードで医学をやる、ということはMedical Schoolというものに通うということだし、単純に、日本の大学システムを考えて「人類学部でて、医学部もでたのかー」と納得すると大きな違いがあると思います。もちろん日本で同じようなことをトップクラスの大学でやるっていうのはありえないほどに困難なことだと思うし、話題にするのもおこがましいかんじですが、あたしがいいたいのは、ハーバードで同じことをやるには、同じだけの困難さもありますが、プラス、それなりの決死の覚悟がいるってことです。東大もハーバードも大変でしょうが、ハーバードはアメリカの仕組みからいって、日本のシステムに比べると、さらなる覚悟と年月が必要ってことですね。

で、彼はそれをやり、実際にお医者さんとしてもキャリアがあり、法医学の世界にも顔をつっこみ、そして文才もあるし医学の分野でそれを書いてみたらヒットしたというわけでしょう。ヒットするのはある意味当たり前ともいえます。というのも、彼には覚悟があるから。そういう、ライフワークにたいする決死の覚悟とすら言えるような内容を、そのイントロのエッセイで読み取ることができます。

まぁ私がここにダラダラ書いていることはこの”Prey”のおもしろさとまらなさの前には何の説得力もないんですけどね。あたしは本を読むとうっかり線をひいたりしてしまいますが、最近はお風呂で本を読むことが多いため、すっかり本のハシを折る程度になっています。今日折ったのはDay 5 7:10 AMのチャプターからひとつ。ちょっとExcerpt書いてみます。

Personally, I always thought there was a clue from computer programming, in a precedure called recursion. Recursion means making the program loop back on itself, to use its own information to do things over and over until it gets a result. You use recursion for certain data-sorting algorithms and things like that. But it’s got to be done carefully, or you risk having the machine fall into what is called an infinite regress. It’s the programming equivalent of those fun house mirrors that reflect mirrors, and mirrors, ever smaller and smaller, stretching away to infinity. The program keeps going, repeating and repeating, but nothing happens. The machine hangs.

I always figured something similar must happen when people turn their psychological insight-apparatus on themselves. The brain hangs. The thought process goes and goes, but it doesn’t get anywhere. It must be something like that, because we know that people can think about themselves indefinitely. Some people think of little else. Yet people never seem to change as a result of their intensive introspection. They never understand themselves better. It’s very rare to find genuine self-knowlege.
It’s almost as if you need someone else to tell you who you are, or to hold up the mirror for you. Which, if you think about it, is very weird.

Or maybe it’s not.

There’s an old question in artificial intelligence about whether program can ever be aware of itself. Most programmers will say it was impossible. People have tried to do it, and failed.

But there’s a more fundamental version of the question, a philosophical question about whether any machine can understand its own workings. Some people say that’s impossible, too. The machine can’t know itself for the same reason you can’t bite your own teeth. And it certainly seems to be impossible: the human brain is the most complicated structure in the known universe, but brains still know very little about themselves.

がーっとタイプしたのでタイプミスもあるかもしれませんが、最初のパラグラフで思い付いたのは、先学期受けた、バイオケミストリーのクラス。Dr. Kangという韓国人の先生が教えてくれたパートで、たんぱく質の構造を解明するときの方法論をずっと教えてくれていたのですが、まだまだ分かっていないことが多く、同じ方法でも、「なぜか何度も繰り返してやるとできることがある」らしいんですね。なぜ1回じゃだめか、なぜ何回、とハッキリわからないか、などなどはまだ疑問のままらしいです。だからこの方法(ていうか失敗ともいえますね)もまぁ間違いではないときもありうるのかなぁと。でも結局コンピュータの場合はそれを繰り返してフローズするわけです。コンピュータのようにストリクトに作られている回路以外でのRecursionというのはもしかしたら単純なループではないのですね。ていうかそういうことをマイケルクライトンはここで言いたいわけではないですけどね。本読んでると自分の経験とかそういうのがぶわーっと出てきて違うこと考えたりすることありますね。

そして最後のパラグラフのなんとパースエイシブなこと!自分の歯で自分の歯をかめない、っていうのは微妙ですけど、知られている世界で一番複雑な構造をしているとされている人脳が、その人脳のしくみを知らない!!ほんとだ!また、Day 6 8:12 AMのチャプターからのExcerpt:

Most people watching a flock of birds or a school of fish assumed there was a leader, and that all the other animals followed the leader. That was because human beings, like most social mammals, had group leaders.

But birds and fish had no leaders. Their groups weren’t organized that way. Careful study of flocking behavior — frame-by-fram video analysis — showed that, in fact, there was no leader. Birds and fish responded to a few simple stimuli among themselves, and the result was coordinated behavior. But nobody was controlling it. Nobody was leading it. Nobody was directing it.

Nor were individual birds genetically programmed for flocking behavior. Flocking was not hard-wired. There was nothing in the bird brain that said, “When thus-and-such happens, start flocking.” On the contrary, flocking simply emerged within the group as a result of much simpler, low-level rules. Rules like, “Stay close to the birds nearest you, but don’t bump into them.” From those rules, the entire group flocked in smooth coordination.

Because flocking arose from low-level rules, it was called emergent behavior. The technical definition of emergent behavior was behavior that occurred in a group but was not programeed into any member of the group. Emergent behavior could occur in any population, including a computer population. Or a robot population. Or a nanoswarm.

これがどうしてあたしのアテンションをひいたかというと、数週間前、Aちゃんの引っ越しを手伝うために(。。ていうかシアトルに遊びにいくために、だね)シアトルまでの道をひたすらドライブしていたときにね、見てしまったんです。プルマンはすごく曇っていて、しばらく走っているうちに雨にまでなって、どうなることやらとおもっていたら、2時間くらい走ったところで急に青空になったんですね。そしたら空に右方向への矢印。

なんか矢印見えたよって助手席にいたAちゃんに言ったんですが、ふたりで良く見たら、それは鳥の群れでした。つまりA flock of birds。矢印の形(>というかんじ)に飛んでいたので、私たちはすっかり、そのとがったところにいる鳥がリーダーなんだと思ったんですけど、まぁ、浅はかだったな、とそう思ったわけです。世の中には本当に知らないことしかないですね。だからこそおもしろいんですけどね。

追記:さっきテレビでアキュラ(車)のCMみてたら、私とAちゃんが見たのと同じようなV字編隊をくんだトリを車で追いかける、というのがあってました。共時性。

感想追記(2/24):最後の1パラグラフ引用します。ホントに最後なので読もうと思っている人は読んでからここに戻ってきてみてくださいね!

But then it kept going, kept evolving. And they let it.

They didn’t understand what they were doing.

I’m afraid that will be on the tombstone of the human race. I hope it’s not. We might get lucky.

これについてですが、あたしのオフィスメイトは、とっっっってもいい人で優しくて人のことを大事にし、お話も上手で知識豊富なんですけれど、リサーチにかけては、どうしても自信がないみたいで、なにかミーティングをする度に、普通はミーティングってそれぞれが形のあるなにかを用意して軽いプレゼンのようなことをしてこれからどうするか、なんていうのを決めたりするんですが、彼女の場合はいつもそれが形がなく、私や私のアドバイザーのVはとまどってしまうんですよね。それは実はリサーチチームからしてみると、すっごくフラストレーションがたまることなんです。

でもそれで彼女を責めたりはしませんが、やっぱりちょこっと何か言いたくなるのか、心ない人々は彼女のことを、”She doesn’t know what she is doing”ってちょこっとあたしに悪口を耳打ちしたりします。あと、人をほめるときに”She/He knows exactly what she/he is doing”と言ったりしますね。何をやっているか、何をやろうとしているか、何がゴールか、何が基準か、などなどすべてを視野に入れた状態で行動するのって、考える以上に難しいことなんだと思います。だからこそそれが褒め言葉になりうるわけですね。それができてる人って思った以上に少ないと思うし、種、という意味で人間を考えたとき、それができているかどうかって、多分悲しいことにできてないんだろうなーと思います。”He is a down-to-earth kind of person.”とかいうのも何となく似てる表現な気がする。

この前旦那のAさんとちょこっとお話したんですが、彼は地質をやっているので化石などについても少しはっていうか、あたしなんかよりは信じられないくらいいっぱい知ってるんですが、いつの化石を見ても、必ず、ゴキブリはいるらしいですね。ゴキブリって、種として考えたときにすごい長生きなんですね。ゴキブリの種に比べれば人間なんて一瞬みたいなもんらしいです。

で、よくよくよくよく考えると、どちらも種としてのゴールは同じなんですよね。あんまり考えたことなかったですけど、ゴキブリも人間も、とどのつまりは「種の保存」がゴールだったりするんですよね。そう考えるとあきらかにゴキブリはWinnerですね。長いし。どんなキタナイものを食べても、どんなところに住んでいても平気。なかなか死なないし。飛ぶし(ひえぇ)。それに比べて人間ってフラジャイルですよね。あわれなほどに。そしてゴールが種の保存だなんて思って生きている人はほとんどいないし(というより、そんなこと考えて生きているひとは、あたしはちょっと気持ち悪いしキライかも)、そういうふうに考えるとゴキブリもそんなこと考えて生きてないだろうなーと思います。だから何が言いたいんだろう、多分、Exactlyに何をしてるかを知りながら行動するのは、こうして文面で見るよりもはるかに難しいことなんだな、と、Preyを読んで思ったな、と、そういうことですね。

他にもいろいろ思ったんですけど、たとえば、去年の4月15日の日記にちょっと熱く書いたことなんですけど、人間のプロバビリティのようなことも考えさせられましたね。粒子がゆらいでいるっていうやつ。あのときは粒子だけを考えていたので分かりづらかったんですけど、今回、このクライトンの解釈を読んで、意味がやっとわかりました。つまり、細胞とかって結局はナノサイズの分子で構成されていて、イオンのやりとりだったりそういうことで機能している、とまぁそういうことだったんです。だから単純に存在の確率とかそういう意味ではなくて、その分子の実行確率といったほうが遥かに分かりやすかったんですね。あたしの突拍子もない謎さえもかみくだいて教えてくれたクライトンさんに感謝しなきゃ。だからといって、私も人にちゃんと説明できるほどハッキリ分かったわけでもないのでここでちゃんと書けないのが悔しいんですけどね。

人って生きていく上で毎日毎日小さかったり大きかったり、いろいろな発見をして、無意識にそれを積み重ねて生きていくと思うんですが、その無意識な、あるいは意識的な「何か」が、また違うある日に何かの発見に触発されてさらに違う「何か」を発見したりするのってあると思うんですね。あたしはそれは足し算じゃなくて乗数になっていくとおもうんです。知識が乗数になっていく。それで、マイケルクライトンみたいな人は、その発見の数も人の数百倍、数百乗あるだろうし、それがさらに何かを触発するのもその数乗におよぶので、毎日が凡人の私には想像もつかないほど充実するだんろうな、と思います。ほら、よく、アイディアが浮かぶときに電球がピッカーンと頭の上に出るというのがあるでしょう?あれが、ピッカーン、ピッカーン、ピッカーンと常に出ているイメージ。

私だって、「アメリカのトイレにあるトイレットペーパーってでかいな」とかそういうことを発見して後日に「そうか!とりかえるのが面倒だからか!」とか、「アメリカ人めんどくさがりだな!」とか、そういうふうに連続発見したつもりで頑張ってるんですけどね。全然頑張ってないか。

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